浦田様から講演依頼をいただきましたが、もう引退の身でありお話しする材料を持ち合わせていない旨申し上げ固辞しました。
                           昨年静岡空港から西安の旅へご一緒しお世話になった関係もあり、標題のテーマでもよければと念押しの上でお引き受けすることと致しました。
                         皆さん殆どの方は酒井次吉郎氏のお名前をご承知かと存じますが、資料で説明させていただきます。
                        
                          1.新開記事は昨年1月25日に逝去された際の記事です。私もコメントを求められ答えています。
                          2.記事中にも出ておりますが、酒井氏生存中に静岡新聞社から回想録「静岡銀行と共に」
                           を出版されていますが、その本の帯の部分をコピーしたものです。
                          3.同書の巻末に記載されている経済年表で、とくに酒井氏が頭取・会長を務められた
                           時期の指標に注目してください。
                           ・株価、地価の急上昇から下落・公定歩合の引上げと引下げ・低成長の定着と失われた10年
                            バブル=土地神話の崩壊
                        「どうして静岡銀行はバブルにまみれなかったか」
                           上記の質問に対する酒井氏のコメント
                          
                          1.愚かな頭取がいたために、静岡銀行を大きく発展飛躍させるチャンスが
                           あったにもかかわらず、判断を誤りソノチャンスを失った。実はそんなこと
                           になるかもしれない不安で眠れぬ夜が何日も続いた。
                          2.東京地区の役員や営業担当の役職員から静岡銀行が提示する金額は他行に比べて
                           ゼロが−つか二つ足りないという声を聞き、営業の現場 にいる行員のことを思い
                           胸を痛めたことも一度や二度ではない。
                          3.経営トップとして他と異なる道を選び、独りその道を歩むということが、いかに
                           辛く孤独なものであるかを知らされたものである。(量的拡大より質を重視した経営)
                          4.横並びを排し、慎重で保守的な行動をとった理由 (三つの指針)
                           ・地方銀行に徹する
                           ・自己資本を充実させる
                           ・経費率の低い銀行を志向する