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2021年4月19日(月)
ティーペアリング
マイスター
石司 麻美 様

 

 

〜 日本茶の伝統と革新 〜


石司 麻美 様
 長嶋会長、先程は素敵なお茶の起源のお話し、ありがとうございました。
 私は静岡生まれ、静岡育ちです。名前は読み慣れない「いしづか」という名字ですが、両親ともに九州出身です。
 物心つく前から「日本茶」に親しんで生活してきましたので、お茶が当たり前、水の様な感覚で育ってきました。大人になって初めて日本茶の素晴らしさに目覚めて、そこから15年ほど、日本茶の普及に携わっております。日本茶カフェや製茶問屋などでお茶を作る現場を見たり、お茶の淹れ方、販売などに携わってきて、休日はお茶のイベントに出席したり、茶農家さんを回ったりとか、「なんでそんなにお茶が好きなの?」と呆れられるくらい、お茶好き・お茶バカとして活動してきました。お茶好きが高じて、4年前から、担い手が少なくなっている、放置されているお茶畑を4アールほどお借りして、「ほうじ茶畑」の復興と、自分自身の勉強として栽培に携わっています。今日は皆様に失礼のないような格好をしてきましたが、週末は手拭いを巻いて畑仕事に勤しんでいます。私自身もここまで日本茶に魅了されるとは思わず、日本茶の世界に飛び込みました。日本茶を紐解いたときに、世界中にある紅茶・中国茶・ハーブティーの中でも、日本茶が唯一の「発明品」ということに気が付きました。紅茶・中国茶・ハーブティーなどは、様々な国の生活文化の中で変化しながら生まれていきましたが、煎茶というものは、約280年前、京都の永谷宗円という方の、たった一人の明確な意志のもとに生まれました。当時は献上茶として抹茶が主流で、上流階級の方が飲むことができるものでした。庶民は茶色のお晩茶を飲んでいました。永谷宗円さんは村人の生活を豊かにしたいという思いと、お茶という緑の葉に魅了され、お茶の可能性をもっと引き出したいと、たった一人で何年も何年も研究を重ねて、「煎茶製法」を開発しました。京都ではなかなか受け入れられず、永谷宗円さんは58歳のときに、思い切って「江戸に売りに行こう」と希望に溢れて、向いましたが、そこでも相手にされませんでした。江戸中まわって断られ、最後に望みをかけて向かったのが日本橋にあった「山本屋」というお茶屋さんでした。現在の「山本山」さんです。当主だった山本嘉兵衛さんという方が、そのお茶を飲むなり、ものすごく感動して、緑色の透き通った優しい旨味のある液体に感銘を受けて「天下一」という名前を付けて江戸中に売るから、永谷さんは一心になって作ることに集中して欲しいと伝えました。永谷さんの15年という努力プラス、山本嘉兵衛さんとの出会いがあって、素晴らしい煎茶というものを今の時代の私達が楽しむことができています。永谷さんの話をしてきましたが、「永谷園」のご先祖様です。
 女性の方が多く講座を受けてくれますが、家族の健康や、企業の健康経営に役立つ人材を育てていきたいと考えています。また、今後は異業種の方とコラボしながら、日本茶の伝統と革新ということで活動をしていきたいと考えています。

 

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