各クラブ、35周年、50周年を迎えるなど、誕生してから随分経ってきました。本日は、私「青島廣幸」のロータリー50年史として、思い出などお話させていただきたいと思います。
ロータリー入会は、昭和35年(1960年)32歳でした。当時は、端で小さくなってお昼を食べていた記憶があります。当初はJC入会を検討していたのですが、ロータリーチャーターナイトに参加した結果、ロータリーへの入会となってしまいました。
1965年(入会5年目)には、幹事をやらせられました。幹事をやってよかったなと思うことは、48時間以内に返事を出すという癖がついたことで、未だに役に立っています。
1968年には副会長となりました。日本でも珍しいと思いますが、私は副会長を3回やっております。
1976年、2度目の副会長指名がありました。1981-1982年度(52歳)会長となりました。その翌年に、分区代理(ガバナー補佐)をやることとなり、1996-1997年度にガバナーを経験いたしました。
ガバナーというものは、本部とクラブ間の連絡係りみたいなもので、大したことではないと思います。全国34地区の34人のガバナーがみな同じ教育を受け、同じ事をそれぞれの土地で行っています。今でも年に3度、同窓会を行っています。私が幹事の時には、「富士周遊の旅」を企画しました。一日目、小雨が降る日で、富士山は出ませんでした。河口湖に泊まり、翌日、富士山が現れ、皆さん大喜びでした。
今後皆様方のところへ参りまして、ぜひガバナーをとお願いしました時には、一度断るけど、二度目は引き受けていただきますと幸いです。きっと、楽しく、良いことをやったなと思えると思います。
ロータリークラブは、一業種一人で、絶対入会出来ませんでした。また、女性は入れない。ということでしたが、今では一業種5人までなど、ロータリーの50年において様々な変化がありました。
来年1月には85歳になります。最近では腰が痛かったり、膝が痛かったりしますが、それが人生だと思います。100歳になっても、どこかの医大の先生みたく矍鑠としていては、周りは迷惑なのではないかと思います。