グループホームを運営しております。日本認知症グループホーム協会の役員をしており、昨年の大震災の後に、緊急で災害対策委員長として、取組をすることになりました。
岩手、宮城、福島の被害状況を掌握し、そこに全国の協会から応援団を出さなければと、震災の翌週から情報収集のため東京に行きましたが、全く出来ない状況でした。そして、応援団を派遣するまで3週間という時間が掛かってしまいました。
●宮城県石巻市鮎川浜、気仙沼市のエピソードから
●岩手県陸前高田のエピソードから
●静岡のリスク
今まで静岡の災害対策というのは、「予知」でありましたが、「予知」は出来ないという事から、今までやってきた地震対策とは何だったんだろうと言うことになります。
介護施設については、今になって「これは大変な立地にある」と騒がれています。原発の問題についても我々にとっては非常に重要です。自分だけ逃げるわけにはいかず、入居者さんと逃げなければなりません。掛川の特養では、入居者のご家族の方に「浜岡原発がまずくなったら、天竜の山奥にある施設を移します」という内容の同意書をとっています。
リスクについて、今までの価値観とは大きく変わっていまい、我々はそれに基づいて行動しなければならなくなりました。
●被災現場から掴む介護職の哲学
介護職の方々は、被災地にあって、自分自身の家族がどうなったかも分からない中、入居者の方々の面倒を見ながら過ごしていく長い時間がありました。夜は添い寝しながら過ごした方々もたくさんいます。そこに、介護という仕事への誇りやポリシーがあるのではないかと思いました。社会的にはあまりステータスの高い職業ではありませんが、危機的状況の中、目の前にいるお年寄りの方々をいかに守っていくかという、メンタリティーのある崇高な職業ではないかと感じました。
被災から1年、この様な事を考えながら我々も仕事をしていかなければならないと感じました。